住人が続々と変死…恐怖の廃墟「心霊豪農屋敷」について

学生時代から私の頭の中から離れることがない心霊スポットがある。
ゼロ年代初頭の頃だと思うのだが、コンビニに並ぶムック本(※1)で「迷路屋敷」と紹介されていた廃墟だ。
記憶はあいまいだが――広い屋敷内をさまようと、必ず元の部屋に戻ってしまうというイワレだった。

後にこれは「心霊豪農屋敷」と呼ばれる廃墟で、かつて一部マニアに大きな反響を及ぼした物件であったことをネットで知った。
改めてどういったものであったのか。
資料を調べていけば、話の全容は当初より知っていたものとは大きくかけ離れ、おぞましい歴史と予想外の結末が待ち受けていたのだ。

すべては別冊宝島「現代怪奇解体新書」に掲載されたとあるルポからはじまった――。

日本中の廃墟を巡った男が出会った恐怖

CIMG4136

CIMG4138(別冊宝島「現代怪奇解体新書」表紙とp90より ※共に私物より撮影)

――1996年、廃墟ライターの中田薫はHさん(当時23歳、女性)からの情報提供により埼玉県本庄市の廃屋を訪れた。
Hさんの祖父が所有している物件だったが、祖父の死後は野ざらしになったのだという。
案内してくれたHさんは幼い頃から「あの家には行かないように」と両親から言われてきた為、断固として中に入らずここで待っているというのである。

妙な思いを抱きつつ、Hさんを残し一同は探索を試みた。
過去に前田和彗(※2)という霊能力者がこの屋敷を訪れ、敷居をまたぐなり失神したこともあったという曰くつきの物件。
この家でなにがあったのか知りたい取材班は、庭に広がる背丈よりも高く伸びた草木をかき分けながら進み、屋内へ踏み入った。

内には無数の障子、はためくカーテン、苔むす畳。厨房のガスコンロではボヤ程度の火災を出したことがあるのか、壁や天井の一部が黒く焦げていた。
そしてタイル張りの風呂場には、昭和40年代のオモチャがそのままに。カレンダーの日付けは昭和47年2月で終わっていた。
こうした事実から1996年の取材時で25年ほど前から無人になっていることがうかがい知れた。

屋内は和室が多く、同じ部屋が永遠に続くのではないかと錯覚するほどだった。どの障子から開け進んでも結局は仏間に到達しまう。
仏壇の引き出しからは巻物を発見、また二階の書斎には日記まで残されていた。
しかしこの時点では怖いことを理由に巻物と日記は閲覧せず、情報提供者には屋内にはなにもなかったと伝え、取材を終了した。

それから一年後、やはり巻物と日記が気になり続けていた中田氏は再来訪する。
近くで農作業をしていた老婆に屋敷について聞き込みするが、
「……あの家おかしいんよ。やめとケ」
としか言われなかった。

この言葉に、この家でなにかあったことを瞬時に察した一行は、すぐさま仏間を目指し巻物を開けてみた。
すると…それは家系図であり、中には信じられないことが記されていた。

「自殺、病死、死産、横死…」

この家系には天寿を全うした人物がろくにいなかったのだ。
さらに2階の書斎にて発見した日記と照らし合わせ、情報提供者Hさんの親族に起きた衝撃の事実が判明してしまう…。

豪農屋敷相関図
巻物と日記から判明したことを元に上記の図を作成した。
死神にでも憑かれているのか、驚くことに一家のほとんどが非業の死を遂げている。


三男殺害

特筆すべきは長男の悲劇。昭和21年に三男に殺されている。
また、一家に起きた不幸、こんなことを日記に淡々と書き残した情報提供者の祖父も異常だ。

続けて日記には祖母の自殺についてこのように書かれていたという。

『昭和三十四年×年×日 妻イネ(仮名)本日自害す 燃料を被り厨房の焜炉にて頭部を焼き天井を焦がし本懐を遂げる』

ということは、厨房で見た黒いコゲは焼身自殺の跡だったのだろうか。

結局は長男殺しの三男がこの家を継いだ。
婿に出たHさんの父親(四男)は、娘に呪われた家族の歴史を話すことをなんてとてもできなかったのだろう。
Hさんが幼少期から言われて続けてきた「あの家には行かないように」という言葉の意味はこうして明らかになったのである。

……と、ざっくりしたあらましは以上だ。

この記事は、若干リライトされ2002年に刊行された「廃墟探訪(二見書房)」にて再掲載されている。

CIMG4139

CIMG4140(二見書房「廃墟探訪」表紙とp134より ※共に私物より撮影)

これほどのお化け屋敷そう滅多にないだろう。当時から大きな反響を巻き起こしていたのはわかる。
廃墟界隈では恐怖物件として名高いものだったそうだ。

……しかし、誠に残念ながら、これまでの話はすべて中田薫氏による創作との見方が強いのである。

すべてはウソだった…?

2003年、廃墟サイト「関西廃墟探訪」の管理人が、ルポに掲載された写真に写る高圧鉄塔の位置から場所を特定。
同じく廃墟サイト「設定チキン」の管理人と合同で検証材料を探しまわった。

結果は、廃墟自体は確かにあったものの、多くの疑問点・矛盾点が見受けられた。以下調査結果を要約しまとめた。

1、豪農屋敷というわりには普通の民家。迷うほど広くはない。
2、カレンダーの日付けは昭和47年(1972)ではなく51年2月(1976)で止まっていた。
3、仏間には仏壇はなく、神棚しか残されておらず家系図なんてなかった。
4、2階も閑散としており、かつて書斎があったという痕跡すらなかった。日記も発見できていない。
5、祖母が自殺したとされる台所の焦げ跡は、どこの家庭でも見受けられるくらい使えば普通につく程度のものだった。等々…。

このように調査結果はルポの信憑性に疑問を呈するものとなってしまった。
他にも昭和47年(1972)に廃墟化したとするなら、情報提供者Hさん(1973年生まれ)が誕生していないことになる為、家系図に彼女の名前が書いてあるなんてありえないとの指摘もある(あらましでは割愛したが家系図にはHさんの名前もあったと記されている)

この写真付レポートがupされた後、ネットには特に目立った追加報告もなく月日は流れ――。

およそ10年を迎えた2012年2月、この件を締めくくるように「廃墟Explorer」管理人である栗原亨氏が次のようなルポを寄稿している。

CIMG4144

CIMG4145(ミリオン出版「怖い噂vol.12」表紙とp10より ※共に私物より撮影)

このルポの主たるものは華麗なる一族(かつて箱根にあった天皇愛好家の廃墟)についてなのだが、本庄の豪農についても触れられているのだ。

――仏壇はおろか仏壇が存在した痕跡すらなかった。焼身自殺を遂げたとされる台所の焦げ跡やすすも、釜を使えばふつうに残る範囲のもので、特筆すべきものではなかった……そう、我々は「陰惨な恐怖の廃墟」というエンターテイメントにまんまと踊らされただけだったのだ……。

導きだされた結論は「プロが仕掛けたエンターテイメント」…こうして心霊豪農屋敷にまつわる長い歴史は幕を閉じた。

…とはいえ、中高生の頃から思いを馳せていたこの物件、私には一つ気になることがあった。
検証した二つのサイトは惜しいものを発見しており、仏間には仏壇はなかったものの、神棚にある巻物のようなものを写真におさめていたのだ。
管理人自身も撮影後に気づき、いずれ再調査するかもしれないとなっていたが、更新されぬまま閉鎖されてしまった。

この神棚にあった巻物はなんだったのだろうか。もしかしたら廃屋の発見に至るまでの間に証拠となるものは全て処分されてしまったのかもしれない、と純粋な好奇心から私は興奮が収まらなかった。

こうした思いから自分でも確かめたいと、2012年7月、上記サイトを参考に鉄塔を手がかりに探しに出かけた。
鉄塔のある付近をしらみつぶしに走り続け、ついに写真と同じ場所を発見することに成功するのだが…。

iwale002

iwale003

iwale001

残念ながら現場は既に取り壊され、がれきの山と化していた。
結局の所、私は自分の目で確かめることはできなかったのだ。

ルポと実際の廃墟はどれほど相違があったのか?果たして神棚の巻物はいかなるものであったのか?長々とした話のみでこれでは納得できない方が多いことだろう。

そこで、詳しく知ってそうな人物に心当たりがあった為、この件について問い合わせしてみた。
残念ながらサイトは閉鎖してしまったが、過去に廃墟サイト「404 廃墟 Not Found」を運営していた小池百円氏だ。
すると、過去三度訪れたことがあるそうで、ネットに公開していなかった秘蔵写真をなんと180枚も送付していただけた。
誠に僭越ながら、その中から厳選した16枚を当サイトにて公開する。

撮影時期は2006年9月、貴重な写真の数々をご覧いただきたい――。


幻のお化け屋敷、その全貌

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

OLYMPUS DIGITAL CAMERA ●建物外観、豪農屋敷というよりは普通の民家のような立たずまいだ


OLYMPUS DIGITAL CAMERA ●ざっと見渡すが、多少の生活用品が散らばる程度でなにもない。同じ部屋が永遠に続くのではないかと錯覚するほどの部屋数でもない


OLYMPUS DIGITAL CAMERA●カレンダーの日付けは検証通り1976年2月で止まっていた


OLYMPUS DIGITAL CAMERA ●風呂場には昭和年代のオモチャは落ちていなかった


OLYMPUS DIGITAL CAMERA

OLYMPUS DIGITAL CAMERA●祖母が燃料を被り焼身自殺をとげたという厨房も、長年使用していればつく程度のスス汚れしか見受けられない


OLYMPUS DIGITAL CAMERA

OLYMPUS DIGITAL CAMERA●私が気になっていた仏間。神棚の巻物は残念ながら家系図ではなく紙管だった

OLYMPUS DIGITAL CAMERA●階段をのぼり2階へ



OLYMPUS DIGITAL CAMERA

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

OLYMPUS DIGITAL CAMERA●2階も閑散としており、書斎だった形跡は一切ない


OLYMPUS DIGITAL CAMERA

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

OLYMPUS DIGITAL CAMERA●床には新聞や反物が散らばる程度で、問題の日記はなかった

――以上のことからも、問題のルポと実際の廃墟は大きくかけ離れていた。

小池氏もこの物件はオカルトじみた話とは無縁の場所との見解だった。本庄の豪農は呪われた家ではなく単なる民家の廃墟だったということで、私も全面同意だ。
「心霊豪農屋敷」は、実在した廃墟に着想を得て細かに作りこんだ創作怪談だったのだ。映像でいえばフェイクドキュメンタリー。よくできた作り話だった。

勘違いしないでほしいのは心霊を否定しているわけではない。私は幼い頃からビリーバーというスタンスだ。
語弊があるかもしれないから細かく言えば、こういったものがあってほしいのだ。けれどもこの件は調べてみたら心霊とは全く関係なかった。

10年以上思いを馳せていたこの物件、先駆者のおかげで個人的なもどかしさを解消できた。
結果は残念としても、廃墟に魅せられた熱い男達のドラマがあり大変面白かった。もうただ敬服するばかりである。

注1:私が10年以上前に読んだコンビニ本について、なにかご存知の方いましたら情報求む。
注2:霊能者「前田和彗(マエダワスイ)」という人物だが、昔メディアにちらほら出ていた「前田和慧(マエダワケイ)」のことだろうか。「慧」という漢字が誤植しているようだ。ちなみに前田氏についてはMMRコミックス5巻「心霊現象が警告する悪夢とは!? 」に登場していたのが強く記憶に残っている。

引用・参考:
「現代怪奇解体新書」(宝島社 1998)P90~P100

中田薫「廃墟探訪」(二見書房 2002)P134~P144

「怖い噂vol.12」(ミリオン出版 2012)P10~P11

関西廃墟探訪様(閉鎖)
http://www.eonet.ne.jp/~hiro1911/

設定チキン様(該当記事は現在閲覧不可)
http://www.geocities.jp/ojiya88/

写真提供:
小池百円様(元404廃墟NotFound管理人)
Twitter:@coffee_100en

2018/08/15