玉川上水三姉妹心中
2020/01/01
昭和34年9月、三鷹駅東側の玉川上水に幼い三姉妹が揃って身を投げた。
理由は両親の不仲によるもの。
長女かつ(14歳)、次女とも(12歳)、四女せつ(9歳)は映画の帰りに三女を残して姿を消したという。
遺体は三鷹駅より三キロほど離れたドンドン橋で見つかり、長女の遺体からは次女と連名の遺書が見つかった。
太宰治が入水自殺した場所も玉川上水であり、三姉妹が身を投げた場所とそう離れていない。
昭和40年の淀橋浄水場廃止とともに送水を停止したため現在は水量は少ないものの、当時は落ちたら助からないほどの流れだったという。
あまりに多くの人が身を投げ込んだため、「人喰い川」と異名がついた。
小池壮彦著の「日本の幽霊事情」には玉川上水の怪異譚及び三姉妹心中事件のことが触れてある。
怪異譚はこんなものだった。
「しかめっつらをして一点を見つめる幼女が佇んでいた。振り返ると、すべるように水の中に溶けこんだ」
はたして心中した姉妹の霊なのか、あるいは別のなにかなのか。
そのような謂れを持つ玉川上水には、他にも怪異譚が無数にある。
オーブが大量に写る。
三輪車で追いかけてくる子供。
土手より這い上がってくる手首。
橋を渡るとき、背中に視線を感じる等……。
残された怪異譚に、入水自殺した三姉妹との因縁を感じるのは私だけだろうか。
そんなことを考えながら玉川上水沿いの道を、姉妹が入水した三鷹駅近辺から遺体発見現場である「どんどん橋」まで歩いた。
●鬱蒼と茂った草木の隙間から、仄暗い水の流れがのぞく。
●太宰治が山崎富栄とともに入水自殺したことで有名なむらさき橋
●件の三姉妹、次女の遺体が引き上げられた万助橋に辿りつく。
新聞に載る隣の記事も玉川上水でのことだ。
当時は自殺スポットだったことがうかがえる。
●むらさき橋下をのぞくが、這い上がる手首は見当たらない。
●現在はトトロが万助橋を見守る。
●さらに玉川上水をくだる。
●井の頭公園とどんどん橋の中間にある、宮下橋。
時刻は深夜二時をまわっていた。
●脇には小さい鳥居と祠
●長兵衛橋。街灯はほぼない
●遺体の発見された「どんどん橋」に到着。
どんどん橋の横には現在主に使われている牟礼橋が架けられてある。
昭和8年に架けられたこの橋、写真に写すと墓石のようにも見えた。
●橋の下をのぞきこむ。
遺体が発見されたのは紛れも無くここである。
結局怪異には出会えず。
歩きながら、もし幼子の怪異と遭遇したら、とずっと考えていた。
橋の下から無表情に見つめる双眸。捕食されかかった虫のような虚ろな瞳がこちらを見つめていたら……。
想像に全身の産毛が総毛だった。
探索者より
どんどん橋の名の由来は水流の音が橋に反響して「ドンドン」と響いたことからだという。
当時の水量は変わったが、昭和34年から平成28年、変わって欲しいものは変わらない。
いつの時代も犠牲になるのは子供たち、とは凡庸な意見だろうか。
長女の遺書にはこうあったという。
お母さんに男の人と別れてくれるように頼みましたが、余計なことをいうな、お前のような子は死んでもかまわないといわれました。
そうなればお父さんにはかわいそうですが、私たちにはもう死を選ぶしかありません。