八王子道了堂跡
2020/01/01
メジャースポットに訪れた理由:浮く老婆
都内の心霊スポットとして名高い道了堂跡。
明治8年に建立された道了堂はかつては信仰を集め、また八王子市と横浜市の生糸輸送の中継地として栄えた。が、現在はもっぱら心霊スポットとしての存在感を誇っている。
老婆のすすり泣く声が聞こえる、心霊写真が撮れる、足音が一人分多い等々……。
検索すれば怪異の体験談は唸るほどある、都内でも稀有な地点だ。
稲川淳二氏の怪談「首なし地蔵」の舞台ともなっている(地蔵に触れると呪われる云々)。
あまりに有名なため、近隣問わず悪童達が深夜訪問し、暴れ、お地蔵を破壊するという痛ましいことすら度々起きている。
ここが心霊スポットとされるイワレは二つ。
老婆が殺された事件と、女子大生が埋められたという事件が怪異の発生源と思われている。
一つ目は昭和三十八年の事件だ。
被害者は八十一歳の老婆、浅井としという女行者である。
明治四十二年に入山し、加持祈祷を行っていたという。
三人の子を生むが二人は生後まもなく死亡。全て私生児。
みたび私生児を産んだとしに対して、村では父親をめぐって噂が乱れ飛んだ。中には心無い言葉を投げる住民もという。
犯人は山梨の労務者であったが、遺体を発見した長女は「村の中に犯人がいる」と叫んだという。警察も戸惑うほどの剣幕だったそうだ。
村人たちと、浅井親子がどのような関係でいたか、推して知るべしだろう。
生きている間は村から蔑ろにされ、最後は強盗に殺害された浅井としの怨念は、いかほどだろうか?
もう一つは女性大生が殺害された事件。
不倫の清算に失敗した大学の助教授が、交際相手である女子大生を殺害し埋めた。助教授は事件発覚前に妻と子供とともに一家心中をとげている。
当初は助教授一家の心中と扱われたものの事件が明るみになるや、加害者が立教大学の助教授という立場もあり新聞は連日大きく取り上げた。
事件発覚前に犯人が死亡した為、遺体の捜索は難航を極めた。
発見されたのは失踪から二百二十三日経過後の、昭和四十九年二月二十八日。
道了堂跡では被害者の霊を見たという噂が後を絶たないが、厳密には遺体が埋められた場所はここではない。
2キロ弱離れた鑓水板木の杜緑地である。
もし生きていれば女子大生は現在六十代後半、老婆であるはずだ。
上記にくわえ、道了堂ある道、通称「絹の道」は八王子と横浜間で生糸の輸送をしていた。その際、付近の製糸場の工女たちが重い病気になれば、この道にうち捨てていたという話も聞く。
なんとも因縁深い一帯である。
ただあまりに知名度の高いスポットゆえ、当初イワレで取り上げることは考えていなかった。
だが、実話系怪談サイトを運営している私のもとに、知人づてで道了堂跡の話が届いた。
話は内容は、頂いたメモの中に凝縮してある。
……老婆が浮かんでいる。
それはなんとも禍々しく、なんとも哀れである。
メモを書いてくれたのは三十代女性のAさん。直接お会いすることはタイミングの関係でできなかったものの、話を聞く限りごく一般的な女性である。
「おばあさんが 浮いている」
この一文に私のアンテナが反応した。
――どちらの老婆になるのだろう?
今回、道了堂跡に行ってみようと思ったきっかけはそんな経緯である。
道了堂跡は現在、八王子市鑓水は大塚山公園として整備されている。
時刻は二十三時。
ふもとから階段を昇り、小高い場所にある道了堂跡に向かう。灯りは手持ちの懐中電灯のみ。
すぐ裏手に住宅街があるものの、音は全くしなかった。
●スタート地点から徒歩十分ほど階段が続く。
●案内板。道了堂の歴史が綴られている。
すぐ上にやや広い場がある。
●何かの石碑
●二基の灯籠の片方。明治23年に作られたものだという。
●前述した通り、道了堂跡は不良悪童たちが肝試しと称して遊び場としてきた。
集団心理で盛り上がる、そんな中で石碑は真っ二つに割られたのだろう。修復した跡が残る。
●石碑には花が添えられていた。
●何度も何度も破壊された、無残な地蔵。
以前は首がもぎとられていたが、現在は新しい首が乗っかっている。
下の石との質感が明らかに違う。
●子供の地蔵を抱えた地蔵。
こちらも修復された跡がある。
●道了堂跡と銘のある標石。
●老婆が殺害された道了堂の跡。
●一旦道了堂跡を離れ、冒頭にあったメモの別ルートを辿る。
私が発する音と、時折葉が擦れる音のみが響く。
吐息がいやに耳に衝く。
ライトの端が、今にも何かを照らし出しそうな……。
後ろから何者かが迫ってきているのではないか……。
脳裏では、今にも横で老婆が浮いているのではないかというイメージがぐるぐると巡っていた。
探索者より
残念ながら(あるいは幸運なことに)浮いた老婆には遭遇できなかった。
だが何もない空間かといえば――凡庸な感想であるがやはり空気感が違うといわざるえない。
ここはおかしい、というのが率直な感想だった。
確かに写真には何も写らなかった。
何者にも出会わなかった。
だが――道了堂跡は近隣住民たちの尽力により地蔵が破壊されてもすぐさま修理が行われる。
次から次に地蔵が破壊されるということは、推察するまでもなく地元の不良・悪童たちのある種の度胸試しとなっているのだろう。いかに恐怖心を押さえつけ粋がれるかを証明する場として機能しているのだ。
これは逆説的に、いかに恐怖心を煽るスポットかという証左になっている。
オカルト的なものと無縁である悪童たちでさえも怯えさせる空気。そおこにナイーブな人間が行けば、なにかが見えたとしてもおかしくないだろう。
道了堂跡にて、Aさんが見かけた老婆。
昭和三十八年に殺された老婆だろうか、昭和四十八年に殺された女子学生だろうか、あるいはそのどちらでもない、製糸場で病死した工女たちの霊だろうか。
いずれにせよ、夜中に行くべきところではないと断言できる。
辺見じゅん著 [呪われたシルク・ロード]